Travels with an Elephant

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zoom RSS 涙の履歴書

<<   作成日時 : 2009/08/15 01:13   >>

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この年齢(とし)になってようやく分ってきたことに、泣くという行為には滅法なカタルシスがともなうというのがある。少なくとも呑んで騒いで白酒(パイチュウ)1本空ける以上の高揚感はある。そればかりではない。泣くことのリフレッシュメントは単に心理上の興奮にとどまらず、明らかに身体細胞を活性化させる効果もあるようだ。白酒1本空けた翌日など、泣かせるインド映画を見れば忽ち宿酔いなど解消されてしまうことを最近経験して知った。

酒杯を手にすると意識不明となるまで泥酔することを信条としているメタ坊さんとしては、したがって泣かせるインド映画が欠かせなくなった。ほぼ一日おきのペースで昏迷しているということは、つまりは隔日で泣いてるという計算になる。そして業界通の方はご存知のはずだが、インド映画で泣きたければマラヤーラム語映画を見れるに如くはない。いったいマルウッドには偉大な悲劇はないが、センチメントの盛り上げ方に関しては疑いなくインド随一だ。そのための演技力と撮影スタッフと情緒をかきたてる風光明媚が完備されているから、ある程度の嗅覚さえあればこれと睨んだ作品でまず外すことはない。というワケでメタ坊さんの涙の履歴書とすれば…Mayookhamを見て泣いた、Rock'n Rollで泣いた、Kodha Parayumbolで泣いた、Mullaで泣いた、流石にNarashimhamでは泣けなかったけどね。

こんな事情から、サウスでも他の言語圏映画はすっかりご無沙汰になっていたのだが、今日は久しぶりにテルグ語映画を鑑賞してみた。マルウッドの欠点は何といってもダンスのレベルが問題外なことであって、真剣に見てるとへろへろっと腰砕けになること必定だ。そろそろキレのある踊りが見たいと思ったのが第一義ではあるが、実はこのHappy Daysには他にも秘かに期することがあった。

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その期待に決して裏切られなかった。いや、けっこう泣ける映画だったんですよ、これが。あるいは普段であれば、ガキの恋愛ごっこなんぞ阿呆らしゅうて見てられるかいてなことで白けきったかもしれないが、何せこちとらは涙腺がゆるみきってるもんで滂沱と泣けました。シェカール・カンムラは実に浪花節のツボを抑えてる技巧派監督だ。これはこういうお話…

チャンドゥ(ヴァルン・サンデーシュ)はCBITに合格し、かれの級友の間から親友と呼べるグループができあがる。男子では地方の政治家の息子ラジェーシュ(ニキル)、天才肌の化学オタクのタイソンことアショーク(ラウール)、貧困家庭出身のシャンカール(ヴァムシ・クリシュナ)、女子では美少女マドゥ(タマンナ)、ボーイッシュなアップー(ガヤトリ・ラオ)、上級生のシュラヴァンティ(モニカ)、浮気なサンギータ(モウナリ・チョウドリ)である。

実はストーリーはこんだけ。事件といえば上級生との対立、タイソンの失恋、サンギータの背徳くらいなもので、あとはこの4組のカップルがせちがらい渡世から遮断されたおままごとまがいのキャンパスライフを満喫して4年後社会に巣立ってゆくまでの過程をセンチメントたっぷりに謳い上げているに過ぎない。ファイティングもなければコメディトラックもない。だからこの映画にはMS・ナラヤナもヴェヌー・マーダヴも登場しない。そもそもブラーマナンダンが出てこないというだけを考えてみても、テルグ語映画としては特筆すべきヘンな映画だということが分かるだろう。

このテの映画では阿呆くさい設定に観客を引き込むまでのプロセスが重要になってくる。ヘンにデタッチさせてしまって見る者を鼻白ませてしまったら収拾がつかなくなるからだが、その点前半はもうタマンナの美貌だけで牽引してると断言してよい。タマンナに関しては邦人の中でも彼女を私の珠ちゃんと呼んで人目を憚らぬ熱狂的な崇拝者があるので熱い語りはそちらにお任せして今更不要なオマージュを控えたいと思うが、何しろこの珠ちゃん、少女モデル出身だけあって営業用スマイルの作り方が実に巧みで、何気ない仕草などを見てもいとも容易におっさんを萌えの地獄に引きずり込むくらいの魅力にあふれている。はっきり言って筆者はカマリニー・ムケルジーのファンなのだが、この映画での男子学生の恋慕の的となる美貌のおねーちゃん教師役は(カマリニーはカンムラ監督のお気に入りでデビュー作以来3作とも登場している)どう見てもフェロモン発散過多でいただけなかった。やはり珠ちゃんの愛くるしい清純の前には成人女性のお色気は余りに脂ぎったものに写ってしまっても仕方ないのかもしれない(因みにあくまでネット上の「公称」に従うならば両者の実年齢の違いは9歳となる)。

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この映画が「泣かせ」を主眼としたものであることは、現実離れしすぎてもはや嘘としか思えないほどお人好しのタイソンの性格設定を見ればよく分かる。タイソンは友誼に厚く情報工学科への転科を熱望するシャンカールのために学期トップの成績を譲ってやったり、上級生のシュラヴァンティを思慕するあまり有力企業への就職を蹴ってまで彼女の去ったアメリカの大学院への進学を決意するような奴である。サンギータの浮気を知ってシャンカールに強く絶縁を迫り、シャンカールに裏切られて上級生から暴行を蒙ってもなおもかれを庇いつづける。お前はバカだとラジェーシュから痛罵されてもそれでもタイソンはつぶやく、「だってあいつは俺たちの友だちじゃないか」…こういう路線だから泣こうと思えばなんぼでも泣けるわけである。それにしてもこのラウールなる役者、アーティキュレーションは不明瞭だわ身振りはぎこちないわ、絵に描いたような大根なのだが、素人紛いのぽっと出がクサイ芝居をしてるところが余計にまた泣かせるのである。

もはや若年層の恋愛といえば野合が常道となっている堕落しきった西洋文明とは違ってインドではまだまだ未婚男女の交遊に就いては社会的規制が大きい。とはいうもののここで描かれているキャンパスライフは余りにもオクテ過ぎて明らかに現実から遊離しすぎている。何せシッドゥがマドゥにキスをせがんだというだけで仲がこじれてそれで延々とストーリーが展開してゆくような世界である。ひとつには、すでに川縁さんが指摘しているように、モデルが一昔前の学生生活、つまりシェカール・カンムラ自身が経験した実体験にある(カンムラは実際この映画の舞台になっているオスマニア大学付属工科専門課程CBITの出身者らしい)ことが関係しているのは間違いないだろう。シッドウのグループは全員が機械工学科所属なのだが上位成績者がそろって情報工学科への転科を希望しているというのも時代背景を反映しているものか。カンムラの専門が何であったか定かではないが、日本の工学部でもいちばん垢抜けなくてムサイというので女子学生から毛嫌いされるのが土木、お次が機械と相場が決まっている。しかしそれだけではないだろう。観客層を読み切ったカンムラの怜悧な計算もあったことも勘定に入れなければならない。盛りのついた若者は放っておいたらまぐわいに走るのは当たり前と思ってる(それはまた真実なのだが)ミドルクラスの両親にとって、恋愛はあってもセックスは描かれない状況を敢えて設定したからこそ、心底安心してノスタルジーに浸って自分のキャンパスライフを回想し、泣きの涙にくれることが可能になっているからだ。

と同時にこうした典型的なキャンパス青春ものを見ていてよく分かるのは、カレッジライフの4年間というものがインドの中産階級出身者にとってゆいいつ出自やカーストの区分を横断した自由な交遊の場を提供しているからこそ、愛すべき郷愁の源泉となっていると考えられることである。重要なのは、そうした交友関係が決して卒業後も持続して生涯のものとはなり得ないという点である。それが証拠に高等教育を受けた者の大半が唯々として親や親族が定めた同一カースト出身者を伴侶とするし、またかれらが成長して子女をカレッジに入学させる世代になった時にも恋愛結婚に否定的な立場をとるようになる。いかさまキャンパス青春ものが観客から歓迎されても、卒業後のクラスメートとの友情というものが決して映画の主題となり得ないのもこのことを傍証しているように思われる。

インドにおいて中産階級の勃興ということが言われて時久しいし、クリミーレイヤーなどという表現も手垢のついた昔語りとなってしまったが、これは単にこの国における高等教育大衆化を意味するだけで、社会学的に見て高等教育受益者の間では一世代前の集団とは大きな断絶がある。古い世代の高等教育受益者はイギリス統治時代の官僚養成機構の伝統に連なる者たちであって、かれらの教育は英国パブリック・スクールの流れを引いて寄宿制の中等教育に始まるから(例えば南インドではウーティにあってLovedaleの愛称で知られるLawrence Schoolが有名だ)その交友関係は卒業後も一貫して持続して生涯にわたるものとなる。卒業生は地主や文武の高級官僚、金融産業界の重鎮、それにマスコミ芸能界の有力者に広がっているからその人的ネットワークは今に至ってもしごく強力である。その点卒業生のほとんどが専門職に就いて、例えばIT技術者のように世界中にディアスポラし自然と縁が切れてしまう今の大学生との最大の相違であると言える。

その意味でキャンパス青春映画はこうした新しいタイプの高等教育受益者、それこそが近年にわかに増大したミドルクラスの正体なのだが、かれらを対象としたものに過ぎず、映画を唯一の娯楽とするような一般観客とは縁もゆかりもないことは知っておく必要がある。いうなればミドルクラスが嗜好するこじゃれたシネコン向きにだけ作られている特殊なジャンルなのだ。極論を恐れずにいえばこのテの映画の嚆矢は2003年のシャンカールによる監督作品Boysだろうが、結局シッドゥ君もゲンちゃんもタミルの衆からはそっぽを向かれ、逆にハイダラバードやバンガロールで熱烈歓迎されたのは実に示唆的だ。これは州ごとの民族性の問題というよりは、高等教育受益者の質の差と見る方が適切だろう。いっときチョコレート・ボーイといえばタミルのマーダヴァンだったが、それを知ったときはこんな垢抜けないあんちゃんが女の子のアイドルとは!と頭がクラクラしたものだ。やはりシッドゥ君が独自のヒーローの座を築くにはハイダラバードというハイテクシティを擁する特殊な土壌が必要だったに相違ない。

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シッダルドゥが開拓したニューヒーローの像はテルグやカルナータカの都市部では新たな需要を掘り起こすまでになっている。本作の主人公シッドゥを演じたヴァルン・サンデーシュがこの路線をねらったキャラ造りをしていることは明らかだ。シッドゥ君と比べて演技力もまだまだ未熟だししまりのない笑顔にはあまり好感は持てないのだが、主演の2作目も3作目もそれなりにヒットしているらしい。ヴァルン・サンデーシュ自身というよりは、これから現れるに違いない第2第3のチョコレート・ボーイがキャンパス青春映画を発展させてゆくことになるのか、そしてそれらの映画が我が涙の履歴書に新たな一頁を書き加えることになるのか、注目すべきなのはむしろその点だろう。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
もう随分前に見たので記憶も曖昧ですが、前半の、入学してから間もない頃のシーンに、田舎出身で貧乏そうで対人にも問題のある、明らかに社会的なグループを異にする垢抜けない男子生徒が出てきませんでしたっけ?アタシとしちゃあ、唯一感情移入できそうなキャラだったんですが、途中でどっかに消えちゃいましたよね。あれはいったい何だったんだろう。本作の一番の疑問でした。
Periplo
2009/08/16 00:20
冒頭に登場してましたね、そういうアスペ少年が。主人公の意志の強さを(キャンパスでは遊び倒すんだという、笑)強調するために出てきたんでしょうかね。

たぶんこの人物と絡む別のシーンも幾つか撮ってたんだけど編集段階で削除されたというのが正解なんじゃないでしょうか。

>唯一感情移入できそうなキャラだったんですが
そ、そこまで自己卑下せんでも…
メタ坊
2009/08/16 21:39
この映画は音楽の役割も大きいですよね。青春映画のものとしては絶品だと思います。違う音楽だったら映画の印象も大分変わって来るでしょうね。
私は良くあの”はっぴぃでぇ〜ず、はっぴぃでぇ〜ず♪”ってテーマソング、何度もリピートさせて聴いて胸キュンしてますだ。
Piyo
2009/08/18 22:29
Piyo様

確かにソングの重要性は忘れちゃなりませんね。

センチメンタルなことにかけては団塊世代にとってのフォークソングと同じなのかな?
メタ坊
2009/08/19 14:31

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