Travels with an Elephant

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zoom RSS インド映画の楽屋裏

<<   作成日時 : 2010/06/19 20:10   >>

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インド映画の楽屋裏、とは我ながら大きく出たとは思うが、強引にこれを普遍化しようという意図はない。一種のケーススタディだと思ってもらえばいい。だが同時に、正直これがとてつもないレア・ケースだとも思わない。けっこう一般化していいのではないかという感触がある。事例が集まってきたらいずれか公式の場で発表したいと思っている。

さて、インドに限らず映画製作というのはそもそもが剣呑なビジネスである。興行成績で黒字を叩き出さねばならんのは無論のこと、そこに至るまでもトラブルが山積している。いったい資金が続かなければクランクアップにまで漕ぎ着けることすらできないが、映画というのは何かと物入りなもの、途中でバジェットが枯渇することも往々にしてある。そうなるとプロデューサーは血眼になって資金繰りに東奔西走するわけだが、時には出所の怪しい金も引いて来ざるを得ず、ボックスオフィスで撃沈しようものなら眼つきの鋭い連中につきまとわれて、あげくの果てに天井からブラ下がってしまうことだってないわけではない。

だから当然のことながらお蔵入りというのもある。世間の人は、専ら撮影終了後編集もあらかた終わった段階になっても買い手がつかないフィルムを指すものと思ってるようだが、それに至るまで、つまりいざ撮影は始まったものの何らかの理由から頓挫したという例となれば、これはニュースとして表面に浮上してこないだけで実際は枚挙に暇がないものと考えていい。インド映画でもようやくDVD化権の売却などで興行成績での躓きをリカバリする手法が確立されつつあるようだが、既に90年代に総収益に占める興行収益の割合が二割を切ったとされるハリウッドに比べれば、メディアミックス展開による「保険」体制はまだまだ脆弱であると言わざるを得ない。映画がそのものがヒットすることが絶対条件になっているのは昔のままである。当ればスイスとアメリカに豪邸、転ければお菰さんに混じって寺院の前で施しミールスの列をなすという博打人生は、今も変わらぬプロデューサー稼業の生の姿であるといえよう。

となれば製作者サイドからすれば、余程の蹉跌があったとしても、クランクアップして編集もあらかた済ませてという、少なくとも売り込める「商品」としてのかたちになるところまで是が非でも漕ぎ着けておきたいと思うのは人情だろう。そこまで来なければこれまでの投資はすべて無駄になるからだ。だからこそ多少の予算オーバーには泣く泣く対応し、必要ならばその筋の人からも金も引いてこようし、それでも懐が不如意であればダンスのロケ地を海外から国内に変更するとか、あるいはダンスナンバーそのものを削ってしまうことだってある。そればかりではない。主演俳優の得手勝手にも監督を拝み倒して脚本を部分的に改変してしまうことも決して吝かではない。それでプロットに些少の破綻が生ずることなどもとより覚悟の上である。

この手のトラブルの間でもメガトン級に厄介なのは何かといえば、それは俳優のドタキャンである。主演男優が抜けると映画そのものが成り立たないから、ここでいうドタキャンは専ら女優のそれを指すと考えてもらっていい。何せ契約書を交わしてからネゴシエーションが始まるというお国柄である。実際キャンセルをちらつかせてギャラアップを強要する例は少くないはずだ。理由はそればかりではない。製作本数の夥しいインド映画なればこそ、女優も準主演級ともなればダブルブッキングやトリプルブッキングは当たり前、そんな状況で前の映画のシューティングが二三日でも圧してくるとたちまち影響が出てくる。機材も借り出した、セットも組んだ、スタッフもスタンバイ、でも女優は待てど暮らせど現れないというのは、実際ままあるケースである。そんなとき、一体どうやってこの難事を凌いでいるのか?

もっとも乱暴な対処方法に、女優そのものを入れ替えてしまうというのがある。実際これは往々にしてある事例であって「作品某の撮影快調、主演女優は甲から乙へ変更」などというのは日常的に目にする芸能ニュースである。そもそも女優の方が契約違反を犯したのだからお払い箱にしても文句の出るいわれはないし(いや、それでも実際文句が出て係争沙汰になったりする場合もないわけではないのだが。何しろインドは裁判大好き人間には事欠かない世界であるからして)厄介払いするなら早いうちに片をつけておいた方が傷も浅い。撮り直しが少なくてすむからだ。何しろまだまだヒーロー中心主義のインド映画である。主演男優さえ揺らぐことなければ、ヒロインの首のすげかえなどさしたる大事にはあたらない。

しかし代替の女優を見つける暇がないくらい、予算とスケジュールが逼迫している場合も時にはある。これが主演女優ならあわれ映画そのものが沈没だが、セコンド・ヒロインなら製作者サイドはどうするだろうか?かなりの無茶をしてまで映画を完成にまで持っていこうとするに違いないが、扨、こうした無茶を通せばどういう羽目になるか?以下に事例を示そう。


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2009年リリースのマラヤーラム語映画Angel Johnは、かなりのロウバジェット・フィルムであったとおぼしい。そもそも市場規模の小さいマラヤーラム語映画では過半が低予算なのだが、恐らくはこの映画、慎ましい予算の大半が副主演を務めた大スター、モーハンラルのギャラに消えたと推測される。邪推ではない。この映画の製作の趣旨は往年のスター、バギャラージの息子シャンタヌを銀幕デビューさせるところにあったから、資金の大半はバギャラージが血相を変えてかき集めてきたものに相違ない。バギャラージはMGRから後継者に指名された一時には注目されたものの、それ以外は長い役者人生で余り脚光を浴びた経験のない、謂わばまあ二線級の俳優であったから、かき集めたといってもその額はたかだか知れたものだ。プロデューサーには冷汗もの、監督にしてみれば頭痛の種の尽きない作業であったに違いない。兎にも角にも、次のようなストーリーの映画が出来上がった。

マラドーナ(シャンタヌ・バギャラージ)は母親(アンビカ)の溺愛をよいことに、勝手に学校を退学し、女の尻を追いかけ回すという自堕落な生活に明け暮れていた。幼なじみのソフィー(ニティヤ・メノン)はマラドーナを気遣うが、かれはソフィーを小遣い銭を巻き上げる相手としか見ていなかった。

退学がバレて父ジョーゼフ(ラルー・アレックス)と衝突したマラドーナは、商売で一儲けして父親の鼻を明かしてやろうと、母の婚資を元手にエロサイト専用のネット喫茶を開業する。一時は大いに繁盛するが、ヤクザものに店を滅茶苦茶にされて多額の借金を背負い込むことになる。出資者のチャンドランは慈善事業団体の資金を秘かに流用していたので、弱り果てた二人は闇金屋ラージャ(サリムクマール)から借金してゴアに出かける。そこで仕入れたドラッグをケーララに持ち帰る算段だったのが、巡察にひっかかりブツを投げ捨てて逃げ帰る羽目になる。

万事窮したマラドーナは自棄酒をあおったあげく、灯台から海中へ身を投げて自殺を図る。そのとき守護天使(モーハンラール)が現れて一命を救助する。天使は山あり谷ありでも天寿をまっとうする方がいいか、それとも寿命が三分の一に縮まってもいいから一日に一回望みが叶う生活がいいか、マラドーナに二者択一を迫る。当然のように後者を選択したマラドーナは、エンジェル・ジョンと名乗った天使と奇妙な共同生活を始める。

エンジェル・ジョンはマラドーナの野放図な欲望を抑えつつかれの希望を叶えてやる。そればかりか、かれを取り巻く人々にも勇気を与える。ソフィーは売れない映画監督の父(ヴィジャヤ・ラガヴァン)のことを案じていたが、エンジェルに励まされて父のために脚本の執筆を始める。徐々に人の道に刮目しはじめたマラドーナは、冒険家ムーサ(ジャガティ・スリークマール)の記録達成にこめた夢を知り、かれの命を救う。

マラドーナはストリートチルドレンを救おうとして、障害児たちを操る悪漢の巣窟に辿り着く。そしてチャンドランが悪徳警官と結託して自分を瞞着していたのを知る。マラドーナの口を封じようとするチャンドラン一味。そこにエンジェル・ジョンが颯爽と登場して、さんざん悪を懲らしめるのだった。しかしその騒ぎでマラドーナは凶刃に倒れる。実はかれがエンジェル・ジョンと契約した三分の一の人生は、そろそろ終わりに近づいていたのだ。


メタ坊自身はけっこう楽しんで見たし、殊に後半の無頼漢天使を演ずるラルさんの名演は見物といえるが、いささかアンバランスの感は否めない。そもそも2時間15分に達しないという尺の短さにすれっからしのファンならピンと来るものがあるはずだ。本来は150分を予定していたものが、バックステージで起こった何かの騒動から、やむを得ずこの長さにまで縮小してしまったのではないか。そうなると最も怪しまれるのはマムター・モーハンダースの不在である。

当初からこの映画、マムターの出演を声高に喧伝していた。今でもキャスティングリストにマムターの名を残しているネット記事は少なくない。二世俳優のデビューとはいえ、ヒロインが新人に近いニティヤ単独では些か知名度に欠ける。ここは清純派もヴァンプもソツなくこなせて南印4州に広く知られているマムターの側面支援が是非とも欲しいところだ。そう考えてみると、マムターに正式なオファーがなされていたこと、少なくとも監督と脚本家がマムターに相当するセコンドヒロインの介在を想定して撮影に入ったのはほぼ間違いないように思われて来る。とはいえ何事も行き当たりばったりで出たとこ勝負のインド人のこと、マムターがちゃんと受諾する前にマスコミにべらべら喋ってる可能性だってある。あるいは事前に出演情報をリークすることで、逆にオファーを受けざるを得ない状況を作り出してゆく戦略であったかも知れない。


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信頼すべき筋から得た情報によると真相は次のようであったらしい。実際マムターへの出演依頼は受諾されて、撮影スケジュールからいうとラルさん単独のパートを別にすれば大半の部分の撮影を終了、あとはマムターの登場を待つばかりという段階で、何の前触れもなく失踪があったようなのである。それもコールシート上ではマムター登場のシークエンスを撮影し始める、正にその当日に逐電したというのだから、絵に描いたようなドタキャンである。そもそもの脚本ではマムターはマラドーナの幼じみでかれの憧れの女性という設定だったらしい。マムターが故郷を離れたことから二人は長期間疎遠になっていたが、マラドーナがグレていたところに再会、かれの幸福を願うソフィーは秘かにマムターに面会しマラドーナ更正への支援を請う(ニティヤええ子や)。マムターはマラドーナのところへ赴きわざとかれを挑発する。マラドーナは一念発起して自堕落な生活を改め、母親から得た資金で起業する。ネットカフェで一財をなしたマラドーナは勇躍マムターのもとへ求婚に出かけるが、マムターはすでに相思相愛の在米NRIと結婚の約束を交わしていた。絶望したマラドーナは世を呪って自棄酒をあおり、投身自殺を図ろうとしたところにエンジェル・ジョンと出会うのである。


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完璧な配役とは言わないまでも、マムター嬢の魅力が活かせる設定であるのは明らかだ。少なくともシャンタヌの未熟をマムターの演技力でカバーできる分、前半にメリハリが利いてラルさんの登場する後半へと滑らかに接合できた可能性は高い。自殺の動機としても、父親への反撥とするよりも一般観客が納得し易いモチヴェーションを提供できていたろう。こういうお膳立てでマムターに抜けられたことだけでも致命的なのに、プロデューサーは続行を決定したのである。今からセコンドヒロインを新たに探してくる余裕(たぶんに資金的な)はない。かといってこのままお蔵入りさせてしまえば製作者サイドの破産は必定だ。それくらいなら、仮令中途半端でも上映にまで漕ぎ着けてしまった方がまだしも損失をリカバリできる可能性はある。ひょっとしたらラルさんブランドでまぐれ当たりしないとも限らないではないか。とまあ、このような判断であったのだろうと推測される。


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こうした状況で突如脚本の変更が決定されても、あっという間に撮り直しのスケジューリングを確定し、粛々とそれなりのストーリーを成り立たせる「画」を作り上げてしまう現場の実力こそ、まさにプロ集団の面目躍如というべきだろう。インド映画の制作過程に著しい高度の分業システムがこうした場合に一定のセーフティとして機能したことは十分考えられるが(このように全体をぶつ切りにして同時並行で撮影しているおかげで、ヒーロー役などごく一部を別にすればストーリー全体を熟知している俳優は少ないし、主演女優が誰だかセコンドヒロインが知らないような事例も往々にしてある)われわれ部外者の目からすると破滅的に映る事態も、かれらは一再ならず経験してきてるのに違いない。銀幕のうしろでは日々修羅場が展開されているのである。

扨このAngel John、実際に上映してみて興行収入的にどうであったか。いうまでもなく一発撃沈である。黒社会の追究を逃れてプロデューサーがドゥバイあたりに姿を隠したかどうか、そこまでは分からないが、最後にこれだけは言っておこう。この文脈だと破滅の原因はいかにもマムターの我儘にあるかのように見えてしまうのは仕方ないが、この映画じたい資金不足のまま見切り発車したものらしく(その結果、途中で重要なソングシーンの撮影が削除されたりしている)かなり蹌踉とした足取りで動き出したことは間違いない。その千鳥足に止めをさしたのがマムターの逐電であったことは否定できないまでも、ドタキャンをかましたマムター側にも止むに止まれぬ個人的な事情があったようなのである。詳しい内容に関しては情報源から口に緘されているのでここに紹介できないものの、リアルでのマムター嬢がスクリーンで見せるような悪女であるとこれをもって結論づけるのはいかにも早計である。世のマムター・ファンはどうか心安んじられるよう申し添えてこの駄文を終わることとする。

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