Travels with an Elephant

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zoom RSS ケーララの寺院と祭事

<<   作成日時 : 2010/09/15 23:24   >>

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インド人が信心深いかといえば、これは仲々に即答しにくい問題なのだが、石を投げればお寺に当るくらいに宗教施設が多いことのみをもって連中の敬神を説くのは、いささか軽率に過ぎることだけは間違いない。

話をこれ以上ややこしくしたくないので当座話題をヒンドゥー教のみにしぼることにするが、そもそもヒンドゥー教には教義というものがない。信者の個別の行為が宗教的に「正統」かどうかの判別は多分に行き当たりばったりに決定される。だから後に述べるタントリとか占星術師とかが繁盛するわけなのだが、統一されたスタンダードがないのは現実に困った問題が起る場合もままある。現代のインド社会でスタンダードらしきもの提供できるのは実はアーリヤ・サマジくらいしかないらしいことは、前回の研究会でも少し話題になった。要するに教義のキャノナイズ(規格化)というのは近代のヒンドゥー教改革運動以降にその必要性が主張されるようになったもので、それ以前はそんなものなくても誰も痛痒を感じなかった。白人の旦那様にお前らのヒンドゥー教は淫らで統一がないとさんざ悪口を言われるようになって初めてインド人が自覚したわけであって、ブラーモ・サマジ以降の運動が活発化したのにも宗教家ではなく寧ろ一般人のサイドからその手の規格を要請する声があったのが背景としてあるということは、理解しておいていいポイントだと思う。

ところで教義に対する無関心というのは、しかしユダヤ=キリスト教以外の宗教ではどこでも該当する状況であって、あくまで儀礼が中心となっているという点では、実はインドの宗教は日本の仏教や神道にたいへん近い。我々にしたところが、バカのくせに何でも質問したがるアメ公から街角のお地蔵さんやお稲荷さんの背景にどんなドクトリンがあるのかと改まって問われたら返答に窮するだろう。でも教義がないからといってそのお地蔵さんなりお稲荷さんなりが蔑ろにされているわけではない。名もないお婆さんが毎日お水をかえてお祈りしている姿を目撃すれば、やはりそこには何らかの宗教的行動があり、それが昨日や今日にはじまったものではないことが一目で見て取れるからだ。

そうした地蔵堂の前の老婆の祈りという視線でインドの宗教を見たらどう見えるかということに就いて、これまで得た知見を備忘録がわりに書き留めようとするのが本稿の目的なのだが、まず断っておかなければならないのは、インドにおける地域的偏差の大きさである。殊にややこしいのはこの偏差がムスリムの侵入によって惹起された歴史的な経緯に遠因するのみならず、さらに時代を下って、インド政庁統治期に端を発する地域の特殊な「近代化」運動に関係する場合もあるという点だ。本稿でとりあつかうケーララ州の宗教事情などはその代表と言える。

身近な例から説明しよう。同じ南インドといってもタミルナードゥ州では異教徒である外国人がヒンドゥー寺院にお参りするのはそれほど困難なことではない。場合によっては拝観料や特別な喜捨を要求される場合はあるだろうが、異教徒だからといって門前払いを食わされる例はそう多くはないはずだ。ところが州境をわたってケーララに入ると事情は一変する。ヒンドゥー寺院は基本的に異教徒お断りであるし、もし事情に疎い外国人がふらふらお寺に迷い込んだりしたらそれこそタイヘンなことになる。まず日常的に行われている儀礼はいったん全部中断される。そこかしこからブラーミンが呼び集められ、最低一週間くらいかけて延々とお祓いの儀式を繰り返さなければならない。その間、穢れを持ち込んだ当の外国人は勾留されて、くだんの儀式明けには目の玉の飛び出るほどのお清め料を賠償金代わりに肩代わりさせられる羽目になるだろう。

例えば筆者が以前から潜入を画策しているお寺にクリシュナを祀るグルヴァユール寺院がある。正規の手続きを踏んでここにお参りしようとしたら、カリカットのアーリヤ・サマジまで出向いて許可証を発行して貰わなければならない。いったい何の許可証かといえば、当該の人物が精神的=霊的にヒンドゥー教徒に等しいことを証明する書類だという。そもそもヒンドゥー教には改宗ということがありえないから、こうした煩瑣な手続きが必要になる。そして、現地の人間の言い草を借りれば、この種の許可証を入手するのはアメリカでグリーンカードを取得する以上に困難なのだそうだ。

話はいささか逸れるが、マラヤーリーのムスリム女性がヒンドゥー男性と結婚したとしよう。無論この女性はヒンドゥー教徒の家に入るのだからモスク詣でのようなムスリムの儀礼は断念せざるをえないが、かといって彼女が堂々とグルヴァユールへお参りに行けるようになるかといえば決してそうではない。ヒンドゥーの儀礼に切り替えたとしてもヒンドゥー教徒になれるわけではないので、プージャ(お祭り)は人目につかぬ家庭内で行うしかないのである。

こうした極端な排他主義が成立した背景には、インド政庁時代に近代化がはじまってから以降も、多くのヒンドゥー寺院がすべてのヒンドゥー教徒に対して門戸を開かなかったというこの地域の特殊事情がある。つまりは同じヒンドゥー教徒であろうとも特定のコミュニティにしか参拝を許さなかったということで、こうしたカーストによる宗教差別は別にケーララ州に限ったことではなかったのであるが(例えばアンベードカル博士が主導した新仏教運動の主眼には寺院参拝の自由があった、というより、自由にヒンドゥー寺院に参拝できないことが社会的差別の最大の焦点になっていたといっていいだろう)ケーララではこの種の差別に対して下位カーストからことさら過激な突き上げが行われた。Temple Satyagrahaと呼ばれるこの社会運動に関しては信頼のおける研究書も幾つか流布しているし、ネット上でも(精査したことはないが)与太とは言い切れない情報も見つかるだろうから、ここでは詳細を述べることはしない。面白いのは、カースト差別解消という一見近代的に映る運動がヒンドゥー寺院参拝の自由という宗教的な目標を掲げたからこそ全州を巻き込む公汎な活動になり得たことと、運動の成功が宗教の枠組みをこえた寺院開放には決して直結せず、逆に外国人をふくむ異教徒に対して堅く門戸を閉ざす結果となったことだ。インド社会においていかに宗教がカースとと深くむすびついているかを示す証左となっているばかりではなく、儀礼への参入を許されることが人権の確立への最大目標だったというインドの特殊な「近代化」の実例となっているからだ。

偖、インドは日常的に何が起るか見当がつかないサーカスみたいな国なのだが、とりわけ頭がクラクラするのには、西洋的な意味で聖と俗の切り分けが明確ではなく、それでいながらインド人は現実生活で悉皆痛痒を感じてないようにしか見えないことがある。ケーララの寺院の運営などはその代表といえる。そもそも寺院の所有権はどこに帰属するのか?かつては個人もしくは特定の家系の持ち物であったが、今は財団化されて法的にいうと寺院基金(Temple Fund)が所有することになっている。一方、実際の寺院の運営は寺院委員会(Temple Board)によってなされるが、そのメンバーは地元の希望者によって構成され、新委員は既存メンバーによる互選によって選出される。興味深いのは委員は有力者とは限らないことで、退職者やソーシャルワーカーなどが中心となっている。

祭儀を行うための資金は寺院委員会が地元から募金によって徴収する。多額の募金に応じることははなはだしい名誉とされ、ことに象を提供することは第一人者の証となる。そのため象の提供者の間で熾烈な競争が起こることがあり、人気のある象に希望が集中するような場合にはレンタル料が高騰するのが常である。

因みに前述のグルヴァユールであるが、ケーララではもっとも裕福な寺院の筆頭にあげられるこの宗教施設は、儀礼のさいに多数の象を用いることで有名である。寺院はそのために象の厩舎を備えているが、ここにいるものは全て寺院に寄進されたものであり、所有権は寺院にある。信者は象を神に捧げる儀式を経たのちに象を寄進する。但し飼育費の負担がバカにならないのでさしもの好景気寺院も音を上げて、最近ではまず敷金を納めないことには象の寄進を受理しないことになっているそうだから、なんとも世知辛い話である。しかも何でもかんでも受け入れるというのではなく、そもそも頭数が65頭と決められてるので、どれか一頭が死なないと新たな寄進はできないシステムになっている。現在では長大な寄進待ちのリストがあって、寄進が受理されるまでには何年も待たなければならない。にもかかわらず寄進の申し込みが引きも切らないのはグルヴァユールの祭礼に自分の寄進した象が登場するのはたいへんな名誉だからであり、そもそもケーララ人ならどの象が誰の寄進になるものかを大概知っている。現在の象の中には俳優のジャヤラームが寄進したのが2頭、タミルナードゥ州前州首相ジャヤラリタが寄進したのが1頭いる。因みにジャヤラリタはカルナータカのアイヤンガール・ブラーミンである。

独立採算が建前であるため原理的には寺院委員会には政治の介入する余地はないが、州政府の観光省(Ministry of Tourism)が資金援助をする場合もある。ところで寺院委員会の上部にはデーヴァスワム委員会(Devaswom Board)があり、省政府によって任命される。管轄官庁はデーヴァスワム省で長はデーヴァスワム大臣、他に書記がおり、この2名は官人(公務員)である。他のメンバーは政権与党の党員の中から選出されるから政治色が極めて強く、政権交代が起ると委員は総入れ替えになる。デーヴァスワム委員会の業務は余剰資金を寺どうしに融通し合うことにある。寄進の大きい寺院の浄財をプールしておいて貧しい寺院に振り分けるのである。ここに宗教(儀礼)に政治の介入する余地が生まれる。デーヴァスワム委員会の持つ巨大な利権もここに起源する。

寺院や儀礼と関係した伝統文化の保護育成(例えば寺院建築に欠かせない壁画を描く伝統技法を教授する学校など)もこの委員会の業務の一環である。他には巡礼のための廉価な宿泊所や食堂の維持管理、門前町での商業コンプレックスのレンタル、公会堂(Devaswom Auditoriumとの名称で各種コンサートや結婚式などに用いられる)の運営がこれにふくまれる。因みにデーヴァスワムはa place of worshippingというほどの意である。

寺院儀礼の運営を実際に差配するのは執事(Temple Manager)であって、近代化以前から執事を歴任してきた家系がありその中から任命される。執事が寺院委員会のメンバーである必要はない。

実際に儀礼(プージャ)を行うのはプージャリであり、寺院委員会がこれを雇用する。プージャリには月給が支払われるが聖域でのお盆に乗せる喜捨(offerings)はプージャリが取るところとなる。すなわちプージャリの収入は月給+喜捨で成り立つ。一方で賽銭箱に入る寄進は寺院委員会の収入となる。プージャリは必ずブラーミンでなくてはならない。小さな寺ではプージャリは固定されているが、グルヴァユールやシャバリマライのような大規模寺院では毎年入れ替わる。希望者は申込料を払ってアプライし、寺院委員会が籤によって決定する。聖域での喜捨はプージャリの儀礼に対するお布施であり、大規模寺院では少なからぬ額に達するので、公正を期して入れ替え制、籤による選出を行っているのだ。

ところで寺院で宗教活動を行うのはプージャリだけとは限らない。大規模寺院にはタントリがいて、寺の運営に関して特別の機会に神へ問いかけをするのを業務としている。ことに火事だとか何らかの凶事が寺に発生した時はタントリの出番である。タントリがホロスコープを読み、事件の背景にある神意を明らかにする。そのことによって寺院は対処法を決定することができるのである。因みにタントリはブラーミンである必要がない。主にサンスクリットの学識によってタントリと認められる。タントリは特に寺院から給与を受けない。人々から深い尊崇を受けており、個人的にうけとる喜捨も大きい。外見から判断するのも容易で、プージャリは聖紐を身につけているだけだが、タントリは光り物の金属の装身具をまとう。写真はグルヴァユール寺院の沐浴池(Temple Pond)の傍らにあるタントリの家である。


tantri house

なお、タントリを個人のホロスコープを読む占星術師と混同してはならない。民間の占星術師としてはケーララではパニッカルのコミュニティがよく知られる。占星術師もブラーミンである必要はない。タミルやテルグで結婚のマッチメーキングのさい雇われるシャーストリは下層のブラーミンであるが、ケーララにそれに相当するブラーミンはいない。

占星術師と同様に、寺院と直接の関係を持たず、なおかつ広範な意味での宗教活動を行う職種は他にもある。例えば祭のさいに入神儀礼を行うヴェッラチャパドゥがそれに相当する。トランス状態となり祭礼行列の先頭に立つ。トリシュール地域ではVellachapaduと呼ばれるが、Velichappaduのローマナイズが一般的か。鈴のついた剣とざんばらの長髪が特徴である。ヴェッラチャパドゥは家系によって継承される。コドゥンガルールのヴェッラチャパドゥのお祭りは最大規模。通常は神への讃歌を歌うがここでは卑猥な歌が歌われる。祭神はドゥルガ。だからヴェッラチャパドゥは女神と同じ刀を持っている。ヴェッラチャパドゥの語源はshakerの意だが、英語では通常oracleと表現されている。


Velichappadu

憑依に関係する職種にはこれとは別にチャータン(Chathan)がある。日本でいう拝み屋に近いが除霊を専門にして自らは入神しないのが特徴。悪魔祓い師にも近いがもっと積極的に呪術にかかわる。他人から受けた呪詛を祓うのはもちろん、依頼をうけて他人に対する呪詛も行う。具体的には特別な金属片を呪殺対象の屋内に隠すことをするらしい。またクライアントにプージャしたロケット(首飾り)を渡すが、これは呪詛に対する防御となる。一種の護符である。チャータンの別のサービスとしてはスーリャチャクラと呼ばれる四角形のメタルプレートをクライアントに与える。クライアントはプレートの前で灯明を点し、プレートからの反射光を自らに照てる。これが呪的な防御となる。


amulet, surya chakra

チャータンはパーラッカド県での呼称であるが、ケーララ全体に呼び名こそ違え同様の職種に従事する者がいる。「飾り閂の部屋」のティラカン演じる呪術師はトリヴァンドラム周辺のチャータンで、たぶん現地での呼び名は違う。こうした呪術を専門とする職種はヒンドゥーのみならずムスリムやクリスチャンのコミュニティの中にも相当するものがある。パーラッカド県はチャータンで有名でことにトリシュールはその中心都市とされている。トリシュールではバスの車体に広告を出しているチャータンすらいるらしい。人気のチャータンの中には大型メルセデスを乗り回し黄金で飾った豪邸に住んでいる者もある。チャータンはふつう英語ではsorcererと表現される。

かつては民間の憑依儀礼が多数見られたが現在は廃れつつあり、テーヤムのような観光化されたかたちので残るものが知られているくらいか。幾つか取材したものもあるが、その報告は別の機会に譲ることにしよう。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こちら、大変勉強になりましたです。
これで、これから映画見るのも、より一層楽しみです。
Piyo
2010/09/16 16:27
お役に立って幸いでございますがな。

ところでジャガティ先生がヴェリチャッパドゥやった映画って何やったかいな?必死に思い出そうとしてるんやけど思い出せん。
メタ坊
2010/09/16 17:34
興味深いお話です。
州が変わるだけでこんなに違うんですね。
次回はぜひ、ケーララへ。
蜜柑一筆
2010/09/16 22:44
蜜柑一筆さん

ケーララよいとこ一度はお出で、ですよ。

基本的にはカルナータカ中南部と比べて高温多湿なので、行かれるなら11〜1月がベストシーズンでしょう。

まあ酒呑みには天国ですね。但しメシは隣のタミルの方が断トツにレベルが高い。州境を超えただけで何でこんなにも違うのか、これも謎のひとつです。
メタ坊
2010/09/17 10:30

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